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◉震災発レポート

第22回 神戸をわすれない
記憶のリレー 受け継がれる想い ❷
たかとり震災資料室

東京都世田谷区下北沢 ◉ 2009年1月31日
第22回 神戸をわすれない 〜ペーパードームたかとりが台湾へ〜

text by kin

2011.1  up
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「第22回 神戸をわすれない」神田裕神父(2009年1月31日)
「第22回 神戸をわすれない」神田裕神父(2009年1月31日)[クリックで拡大]

柱に染み付いた涙

震災による火災で建物のほとんどを失った「たかとり教会」は、建築家坂茂氏の提案により、紙管を使った仮設の礼拝堂「ペーパードームたかとり(紙の教会)」を建立した。建設費や建材の多くは寄付で賄われ、建設工事もボランティアの手によって行われたという。そんなペーパードームについて神田さんは、「最初に建築家の坂さんが話に来たとき、『頭おかしいんちゃうか!?』と思った」と苦笑した。ここは火災による全焼地域なのに、よりにもよって燃えやすそうな素材である「紙」で仮設住宅を造ると提案してきたからである。一度は断ったがその後も毎週来るようになり、ついにはその熱意に折れた。そして1995年9月17日、こけら落としを迎えることとなった。

長らく神田さんは、「街が復興するまでは、教会を本建築で再建するわけにいかない」としていたが、震災まちづくりも落ち着いてきたこともあり、同じ坂氏の設計で再建をすることとなった。これまでのペーパードームも紙製の仮設とはいえ、耐久性もあり数々の建築賞を受賞してきた建物で、これからもまだまだ使える状態であった。そこで解体するペーパードームの保存移築を模索することとなった。引き取り手を探していたところ、遠く台湾の921大地震(台湾中部地震)被災地から声が掛かる。こうして南投縣埔里鎮桃米生態村の被災地に、神戸との被災地交流の象徴として移築されることになったという。2005年6月より解体工事が始まり、921大地震から9周年に当たる2008年9月21日、完成式を迎えた。

その台湾での完成式に立ち会った時の報告が、スライドショーの写真を映しながら行われた。

ペーパードームが台湾に行ったときに、柱がとても汚かった。移設工事や輸送、保管の時に汚れてしまった。

という。泥が飛び跳ねて雨だれの後が着いていたのだ。しかしその汚れを見て向こうの神父は、柱が「泣いている」と思ったそうだ。

汚れが『涙』に見えたようだ。神戸にいるときは泣く暇もなく、泣かれなかった。

向こうでの移設の様子を写真を見ながら聞く。山間部の農村の中にある広大な森林公園のような広場に大きい池があり、その湖畔にペーパードームが佇んでいた。

ペーパードームの移設費用は、実は台湾で新しく立て直したほうが安い。だがそうではなく、『それそのものが移動する』ことに意義がある。

神田さんはこう話した。青池さんの話ではないが、これも記憶のリレーである。

野田北部・たかとり震災資料室—河合節二さん

野田北部地区のまちづくり協議会と「野田北ふるさとネット」の事務局長である河合節二さんが、この日に合わせて上京していた。まち協と自治会は「野田北ふるさとネット」を結成し、現在はまちのあらゆる活動に関わっている。そのふるさとネットが震災から14年目を迎えた2009年1月、たかとり教会内に「野田北部・たかとり震災資料室」を開設した。

多くの取材を受けたが、マスコミによく訊かれる。『なぜ震災14年というタイミングなのですか?』と。それは場所とタイミングの問題。

取り上げるほうとしては「14」というのは切りの悪い中途半端な感じがするのだろう。しかし単に場所や助成金などいろいろな条件が重なっただけの話だという。10年だとか15年だとかの節目の話は、マスコミが外部に伝える際の目線であって、14年でも15年でも地元にとっては同じ1年なのだ。

黒田福美さんの想い

この「神戸を忘れない」イベントを当初から支援している俳優の黒田福美さんからもお話があった。台湾に移設されたペーパードームの写真を見た印象を、

まるでギリシャのパルテノン神殿のような佇まいと美しさで驚いた。振り返ってみれば、神戸にあったときはそうした全体像を見る余裕もなかった。あと敷地が狭くて、引きの絵が撮れなかったというのもあるかもしれない。

というような感想を話していた。確かに台湾のものは、市街地の中にあったペーパードームのイメージとは違い大自然の広い空間の中にある。周りに作られた建物も、ペーパードームや自然と調和する形で設計されていた。ライトアップされて闇夜に浮かび上がる様子は、誠に神秘的でさえある。

黒田さんは、震災後の95年秋に長田で写真イベントを開催したり、長田神社商店街を通販で支援しようと『がんばってます神戸』プロジェクトを企画し、被災地支援を行ってきた。そのプロジェクトを知って、中越地震の際にも同じ企画をしたいと連絡をくれた人がいた。

その精神が中越に引き継がれたのを見たとき、嬉しかった。

とその時の想いを語った。

期しくも、「記憶のリレー」というテーマでつながり、締めくくられた。

[了]

Voluntary Architects' Network──建築をつくる。人をつくる。
坂 茂 慶應義塾大学坂茂研究室 北山恒 ブラッド・ピット
INAX出版

◉データ
第22回神戸をわすれない 〜ペーパードームたかとりが台湾へ〜
開催日:2009年1月31日
場所:東京都世田谷区下北沢
        男女共同参画センターらぷらす11F(北沢タウンホール内)
主催:神戸をわすれない・せたがや
共催:世田谷ボランティア協会ボランティアセンター
後援:世田谷区社会福祉協議会
協力:世田谷区こどもいのちのネットワーク、市民運動・いち
内容:短篇映画『震災復興のあゆみ〜あの時と今〜』
        上映とトーク 青池憲司
       「ペーパードームたかとりが台湾へ」神田 裕
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

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野田北部地区のまちづくり協議会と「野田北ふるさとネット」事務局長 河合節二氏 第22回 神戸をわすれない 2009年1月31日)
野田北ふるさとネット 河合節二氏
(東京都世田谷区)2009年1月31日
第22回 神戸をわすれない 2009年1月31日)
第22回 神戸をわすれない
(東京都世田谷区)2009年1月31日
黒田福美氏 第22回 神戸をわすれない 2009年1月31日)
黒田福美氏
(東京都世田谷区)2009年1月31日
第22回 神戸をわすれない 2009年1月31日)
青池さんと河合さん
(東京都世田谷区)2009年1月31日
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