阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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青池憲司コラム

震災小片雑記・壱(110321)

千葉県 ◉ 2011年3月21日
東日本大震災

text by 青池憲司

初出:野田北部を記録する会WEBサイト コラム

2011.3.21  up
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小片1

東日本大震災から10日がすぎて、見出しのコラムを書きはじめる。この10日間と以降のあれこれ(身の周りの些事)が非時系列的につづられる。まず、そのとき、14時46分は家(千葉県市川市の東京湾岸)にいた。そのときのことを、数日後に神戸の友人からのメールに応えて、わたしはこんなふうに書いている。そのまま引用する。

昼間はめったに点けていないTVの画面が、いきなり緊急地震速報を叫びはじめました。それでも、東北の遠くの地震、と思った矢先に、大きなヨコ揺れがきました。あわてて、テーブルの下に潜り込みました。ゆっくり、ゆうっくうぅりぃ・・・といった感じで、3分超は揺れたのではないでしょうか。それでも、まだどこかタカをくくっていました。ほんとうに恐かったのは、15分後にきた第3弾の地震です。やはり、3分超のおおおきいぃく、ながあぁあぁい揺れのあとにタテ揺れがきたときは、これが、あの、30年内に7割の確率でくる、といわれていたヤツかと観念しました。でも、タテ揺れは微々少々で、またしばらくヨコ揺れがつづきました。TVがつたえるそんなものではないとんでもない東北の状況を、テーブルの下から見ていました。それからは、揺られながら、TV画面に釘付けでした

小片2

11日の夕方から12日にかけて、野田北部・鷹取をはじめ、神戸の友人知人たちから電話とメールがある。固定電話も携帯電話も多くのは不通で、ときに繋がった。この日、せっちゃん(野田北部まちづくり協議会事務局長)は、前日に都内で行われた防災シンポジウムに出席していて、そのときは浅草でみやげものを買っていたそうだ。なんとかその日のうちに帰神できたと後日にきく。

11日夜、<たかとりメールマガジン>報、「FMわぃわぃでは在日外国人向けに多言語による地震・津波情報を放送中です。次のページからインターネットでも聴けます」

http://www.tcc117.org/fmyy/internet/

「またFMわぃわぃのホームページでの多言語で情報を伝えています」

http://www.tcc117.org/fmyy/index.php

小片3

12日朝10時半、近所のダイエーに行くが、すでにほとんどの棚がからっぽ。うちは単1電池が切れている。13日、所用で浜松へ。ここの量販店で乾電池を手に入れようとするも皆無。15日、野田北部へ別件で電話。乾電池を買って送ってと頼む。のちに、せっちゃんから電話あり。神戸も皆無と。ふたりして大笑い。事務所の備品をとりあえず送るとのことで、翌朝、単1が4個と懐中電灯が届いた。懐中電灯は阪神大震災のときの救援物資の新品。なんと!

小片4

14日、次のようなメールを、友人知人活動仲間に送る。そのまま引用する。

今回の大地震大津波には、わが眼をうたがいました。TV画面でしか見ていないのですが、茫然たる思いです。災害そのもの、そのスケール、被災地の広域性、そのごの展開、原発、直接的な被災地ではない全国へのさまざまな大きな影響・・・この国は、ほぼ全域で災害列島化、買いだめ列島化しつつあります。物心ともに阪神大震災のレベルでは計りきれません。
とはいえ、やはり、わたしたちは阪神大震災で学んだ技術と知恵で、この災害の復興に立ち向かうしかありません。

小片5

12日夜、いま、わたしに何ができるか、およそ、わたしらしくないことを考える。わたしではなく、わたしたちなら何かできるだろうと、OKUBO(新宿区大久保、百人町地域)の仲間と下記のようなイベントを企画する。議論を重ね、16日、呼びかけ文を諸方諸団体諸兄姉に発信。

《東日本大震災被災者応援チャリティOKUBOの集い
「多文化で紡ぐ いのちの環」》

日本列島に未曾有の大災害が起りました。
被災されたすべての方々に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地はもとより、非被災地の全国各地で被災者支援の活動が始まっています。
人それぞれ、グループ・団体それぞれが、いま、できることを始めています。
『OKUBOアジアの祭』運営委員会は、被災した人たちが、大きな大きな困難を抱えながら切り開こうとする道を、微力ながら応援していきたいと考えています。
『OKUBOアジアの祭』は、これまで7回、「首都圏に住む外国籍住民との協働のコミュニティづくり」を目的に開催し、昨年は「多文化で紡ぐ いのちの環」のテーマで、民族の歌と踊り、【大地震に備える多民族トーク】などを行い、多様な交流を実現しました。
いま、その趣旨を受け継ぎ、東日本大震災被災者を支援する行動を始めます。
いま、わたしたちにできることを!
2011年3月16日
『OKUBOアジアの祭』運営委員会

イベントの日時・会場・最新情報などは、
サイトhttp://okubo-asia.jugem.jp/を参照してください。

(つづく)

◉初出誌
「阪神大震災ドキュメンタリーヴィデオコレクション─野田北部を記録する会WEBサイト」サイト内
「連載コラム『眼の記憶11』第5回」2011年3月21日掲載を再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

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青池憲司

ドキュメンタリー映画監督。震災後、親交のあった長田区の野田北部・鷹取地区に入る。"野田北部を記録する会"を組織し5年間に渡りまちと住民の再生の日々を映像で記録。
「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部」(1995年〜99年,山形国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品)を発表、国内外で上映。2002年「日本建築学会文化賞」受賞。

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