阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

青池 憲司 監督作品 映画『宮城からの報告—こども・学校・地域』製作委員会

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コラム・撮影報告

石巻撮影報告
8/10

野田北部からの支援

text & photos by 青池憲司

2011.8.11  up
のだきた号 (宮城県石巻市 2011年8月) Photo:青池組
のだきた号 (宮城県石巻市 2011年8月) Photo:青池組

人のこころの熱さ

えぇ、お暑うございます。いかがお過ごしでしょうか。石巻も酷夏です。そんななか、人のこころの熱さのお話です。

阪神大震災被災地KOBEの長田区野田北部から車(写真)をお借りすることになりました。映画『宮城からの報告〜こども・学校・地域』(仮題)の製作支援ということで、来年3月(撮影終了予定)まで無償で貸してくださいます。野田北部のみなさんの熱いこころを、ありがとうございます。

車は、撮影スタッフ車としてだけではなく、阪神大震災と東日本大震災の住民さん交流の足として使わせていただきます。ちなみに、車の横に立っている、せっちゃん(河合節二・野田北ふるさとネット事務局長)はお借りしていません。

車は「のだきた号」と呼ばれます。浅山三郎・野田北部まちづくり協議会会長の命名です。このような公式?シートのほかに、野田北部の住民さんと関係者諸兄姉が、こちらの住民さんへの応援寄せ書きシートをかいてくださるとのことなので、それを貼って石巻周辺被災地を走ります。

野田北部の夏まつり

野田北部の夏祭り (神戸市長田区 2011年8月) Photo:青池組
野田北部の夏祭り (神戸市長田区 2011年8月) Photo:青池組

8月6日〜7日、車をいただきに野田北部へ行ってまいりました。地域は、ちょうど夏まつりで、会場の大国公園は老若男女で賑わっていました。阪神大震災の年に、「こんなときに? いや、こんなときだからこそ」と行われた夏まつり。あれから16年、この祭に懸ける住民さんのエネルギーは何ら変っていません。住民手づくりの祭はますます厚くなって、野田北部の底力を感じます。

さて、「のだきた号」は、阪神高速・名神・東名・首都高・東北道・三陸道と、近代道路建設の“忰?”を乗り継いで、宮城県大郷町不来内南一本松山50番に到着しました。きのうの夕刻のことです。背景の家屋が、わたしたちの宿舎です。今回の映画づくりに賛同してくださった地元の方が提供してくれました。ありがたいことです。

明日から撮影再開です。

のだきた号 (宮城県大郷町 2011年8月) Photo:青池組
のだきた号 (宮城県大郷町 2011年8月) Photo:青池組
のだきた号 (宮城県石巻市 2011年8月) Photo:青池組
のだきた号 (宮城県石巻市 2011年8月) Photo:青池組

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

青池憲司

ドキュメンタリー映画監督。震災後、親交のあった長田区の野田北部・鷹取地区に入る。"野田北部を記録する会"を組織し5年間に渡りまちと住民の再生の日々を映像で記録。
「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部」(1995年〜99年,山形国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品)を発表、国内外で上映。2002年「日本建築学会文化賞」受賞。

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