阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

青池 憲司 監督作品 映画『宮城からの報告—こども・学校・地域』製作委員会

  1. Home
  2. 活動団体
  3. 映画 HOME
  4. 撮影報告〜1/19

コラム・撮影報告

石巻撮影報告
1/19

石巻からKOBEへ

text by 青池憲司

2012.1.29  up
神戸市長田区野田北部(神戸市長田区・野田北部 2012年1月17日)
長田名物のそばめしで、石巻の被災者を迎える (神戸市長田区・野田北部 2012年1月17日)

阪神大震災から17年

1月17日の朝はいつものように被災地KOBEの野田北部(神戸市長田区)で迎えました。阪神大震災から17年です。早朝05時46分に地域にある大国公園で、住民のみなさんといっしょに黙祷しました。人びとは三々五々あつまり、低声で挨拶をかわし、蝋燭を灯し、合掌し、黙祷し、散じます。震災の翌年にはじまり毎年行われている、ただそれだけの小さなつどいですが、わたしは欠かさず参加しています。ことしは、石巻からでかけました。

大国公園のつぎに訪れるのは、カトリックたかとり教会です(すぐ近所)。ここでは追悼会が行われます。といっても、どこでものそれではなく、キリスト教、仏教、神道のフュージョン(?)です。般若心経、修験者の法螺貝、賛美歌によって、1.17被災者の追悼と新生の祈りがかわされました。これにも例年参じています。

そのおなじ時刻に、被災地石巻の中瀬(旧北上川河口部の中洲)で、「石巻市民、感謝と追悼の集い」がありました。阪神大震災と東日本大震災の犠牲者への鎮魂と、KOBE住民からの支援に対する感謝を込めて、市民のみなさんが約500本の蝋燭燈籠を灯した、とききました。阪神大震災の5年後にKOBEで点灯された「1.17希望の灯り」が、東日本大震災被災地の夜明け前を照らしたのです。

KOBEから石巻・湊小学校の避難所へ、震災7日後に駆けつけて、いまも被災者の支援活動をつづけているチーム神戸の金田真須美さんが企画した、石巻被災住民の阪神大震災被災地ツアーの一行と野田北部で会いました。バス旅行と密度の濃いスケジュールにもかかわらず、みなさんお元気で、野田北の人たちとランチ交流をたのしんでいました。「長田そばめし」vs「石巻焼きそば」のB級グルメ対決をやってみたいものです。

わたしはといえば、石巻から東京さらに神戸、反転して東京そして石巻という旅程の間、東京では仕事の仕上げスタッフとよく議論し、被災地KOBEでは新旧知友とよく談笑しました。つまりは、どこでもよく呑んだということです(野田北部では立ち飲み森下で)。散髪屋ハヤシは休みで立ち寄れなかったのが残念。ほかにも多くの友人たちや群れとの茶談酒談があり、きょうの午後に帰石しました。"It was a hard day's night" です。おやすみなさい。

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

青池憲司

ドキュメンタリー映画監督。震災後、親交のあった長田区の野田北部・鷹取地区に入る。"野田北部を記録する会"を組織し5年間に渡りまちと住民の再生の日々を映像で記録。
「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部」(1995年〜99年,山形国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品)を発表、国内外で上映。2002年「日本建築学会文化賞」受賞。

WEBサイト

bottom