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◉震災発コラム

もう1年、まだ1年 被災地・長田の現在 ❷
全国からふたたびボランティアが集結
〜震災を語り継ぐ夜〜

神戸市長田区御蔵通5丁目 ◉ 1996年1月16日

text by kin

1996.2.9  up
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御蔵地区のボランティア村

阪神・淡路大震災からまる1年が経過した1月、およそ1週間長田に滞在していろいろな活動をした。拠点にしていたのは、長田区御蔵通5丁目である。

ここにある地元ボランティア団体「すたあと長田」は、震災直後に活動していたNGOピースボートのプレハブと活動を地域のボランティアが引き継いだ団体だ。すぐ隣の敷地には、昨年夏より兵庫区で活動していた「曹洞宗国際ボランティア会(SVA)」が引っ越してきた。その目の前には、「おろしね一座」という被災店舗の再建を目指す店主たちによる仮設共同飲食店が建っている。

現在この御蔵通5丁目の一角は、ボランティア村の様相を呈している。元々この敷地には、自動車部品会社を営む株式会社兵庫商会の社屋が建っていたのだが震災で全焼。そこで同社が、復興に役立てるならと場所を探していた各ボランティア団体に貸与した。

1周年を迎える長田には、こうしたそれぞれの団体に、全国からボランティアたちが戻ってきていた。

全国からふたたびボランティアが集結

すたあと長田のプレハブ事務所には、21日に催される「つづら折りの宴」という長田神社で行われる音楽ライヴフェスティバルの準備のために、全国から4,50名ほどのボランティアたちが集まっており、とても賑やかで慌ただしかった。

ここに集まっているのは、日ごろ活動拠点としている地元すたあとスタッフに加え、1年前にピースボートで震災ボランティアの活動をしていた者やそのピースボートの中心スタッフ、さらにはつづら折りの宴の企画と出演をするミュージシャン、ソウル・フラワー・ユニオンの呼びかけに応じて初めて来たファンたちであった。

舞台設営から美術装飾、各種手続きなど皆で黙々と作業をしている。広報係は、神戸はもとより大阪から姫路まで広く点在している仮設住宅団地の全てを回って、ポスターを貼っていった。このイベントは犠牲者の鎮魂の他、苦労してきた被災者やボランティアたちを慰労し、街で再会することを目的としている。遠く離れた仮設から、長田の街に戻ってくる機会となることを目指している。

待機所へ生活情報誌『ウィークリーニーズ』を配達

すたあとの日常業務は、隔週刊の被災者向け生活情報誌『ウィークリーニーズ』(WN)の制作なのだが祭の準備に追われ、印刷済みの情報誌が未配となっていた場所がいくつも残っていた。そこで『WN』の配達を手伝うことになった。

『WN』の配達地域は長田区内のみなのだが、その全てを合わせると配達場所は数十ヶ所に上り、人が多く集まるコンビニや郵便局、公会堂、喫茶店など場所もさまざまである。旧避難所である"待機所"もその中の一つだった。

神戸市は1995年8月20日で市内の全避難所を閉鎖したが、引き続き数を絞りつつも「待機所」と名を変え残された。その一つ、新長田駅前のジョイプラザの中にある新長田勤労市民センター待機所にも配達に行った。ロビー付近にも生活感が漂っている。1年が経過していても、避難所の現在がここにあった。

テレビマスコミの取材攻勢

それにしてもマスコミの数がものすごい。ここにいると各テレビ局のニュースキャスターの顔は、一通り見た感じがする。新聞記者の取材は、人の話をじっくり聴いたり礼節を持って臨む印象があるが、テレビ取材は何故あのように傲慢で無礼なのだろうか。

生中継用テレビ中継車の発電機の音はとてもうるさい。焼け跡の更地にもずかずかと入り込む。夜にライトで照らしまくる。カメラを抱えれば、それが何かの免罪符かのようにどこにでも進入し、平気な顔で「ちょっと邪魔」などと言う。ここがどんな場所で、どんな人たちがいるのかがわからないのだ。彼らの態度や取材手法については、頭に来ることばかりである。

1月16日、震災を語り継ぐ夜−朝まで長田

震災1周年の17日を迎える前夜、このプレハブ事務所に集まっていたほとんどのみんなは徹夜することとなった。16日の夜11時から翌17日朝にかけて、隣のプレハブ「おろしね一座」で、「震災を語り継ぐ夜−朝まで長田」という企画が行われていた。いろいろな活動に携わっている地元被災者による主催で、店内はこの付近のボランティアだけでなく大学教授や地域住民など数十名で一杯だった。

「市民語り部キャラバン」という震災を伝えるために東京などで行ったイベントの報告や、ピースボートの中心スタッフも参加しての討論が熱く交わされた。

早朝5時を前に延々と続いた討論会を終えると、参加者全員でこの場所から5分ほど歩いた所にある、菅原市場の駐車場まで移動した。真っ暗闇の中、地震発生時刻の午前5時46分を迎える。献花し、黙祷して祈る。被災地の2年目が始まった。

[続く]

◉初出誌
1996年2月9日報告を加筆再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

◉データ
震災を語り継ぐ夜—朝まで長田
開催日:1996年1月16日 23:00〜翌4:00
場所:おろしね一座(兵庫県長田区御蔵通5丁目)

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Text & Photos kin

震災発サイト管理人

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震災を語り継ぐ夜−朝まで長田(神戸市長田区御蔵通・おろしね一座 1996年1月16日)
震災を語り継ぐ夜
(長田区・おろしね一座) 1996年1月16日
震災を語り継ぐ夜−朝まで長田(神戸市長田区御蔵通・おろしね一座 1996年1月16日)
震災を語り継ぐ夜
(長田区・おろしね一座) 1996年1月16日
震災を語り継ぐ夜−朝まで長田(神戸市長田区御蔵通・おろしね一座 1996年1月16日)
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(長田区・おろしね一座) 1996年1月16日