阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

  1. Home
  2. コラム
  3. イタリア人ジャーナリスト最前線ルポ出版
top

◉震災発レポート

伊ジャーナリストの被災地最前線ルポ
日本メディアが伝えない現実とは
〜桜井南相馬市長を交えて

東京都千代田区九段南・イタリア文化会館 アニェッリホール
◉ 2011年6月29日
ピオ・デミーリア著『放射能という“津波”』出版記念
東日本大震災

text & photos by kin

2011.8.6  up
bottom
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
パネルディスカッション:(左)ドナーティ館長, デミーリア氏, 桜井 南相馬市長, 田口ランディ氏
(東京都千代田区・イタリア文化会館 /九段南 2011年6月29日) [クリックで拡大]

初めは興味はなかったが…

東京の九段南にあるイタリア文化会館で、イタリア人ジャーナリストによる東日本大震災の取材報告があると知ったとき、当初はそれほどの興味はなかった。むしろ否定的な印象すらもあった。それには個人的にも、いくつかの理由があった。

なにしろこの震災の欧米の反応といえば、支援も熱かったが、同時に過剰な反応も際だっていたことが挙げられるだろう。過剰な反応の源泉は、日本語を操れない日本特派員が現地も行かず、東京どころか大阪やひどい事例では中国などから遠隔取材をした結果だった。しかも各国の大手マスメディアが、である。

そんな稚拙な取材力と事実と装飾の混じったような微妙な現地レポートは、日本に居ながらも日本語を解せない外国人たちに冷静な判断力を失わせ、過敏に反応した欧米人の出国ラッシュを呼んだ。そうした反応は、彼らの立場に立てばある意味当然だと思うのと同時に、大いに落胆もさせられた。そしてそれはイタリア人も例に漏れず、同じ反応だった。

またイタリア共和国政府からの被災地支援の動きにも、他国と比べても目立ったものがなかったこともある。救助隊や救援物資が寄せられたわけでもなく、日本外務省の報告でも数名の調査団が数日来日しただけだった。

そんな先入観もあって興味もなく参加を迷っていたのだが、一転して興味を覚えたのは、その参加パネラーの中に、どういう関係か福島県南相馬市の桜井勝延市長の名を見つけたからだった。

南相馬市長と言えば、同市が福島第一原発から20km範囲の警戒区域に設定されたことで援助が滞り、YouTube上で世界に窮状を訴えたことが話題になった人物である。さらにはその行動力に対し、米誌『TIME』が2011年「世界で最も影響力のある100人」(2011 TIME 100)に選出したことで、世界的にも有名になった。日本人では、同じく候補に挙がっていた菅直人総理や枝野幸男官房長官を押さえてである。

このイベントに何の予備知識もなかったが、とりあえず内容には期待せずどんな報告がされるのかだけでも見届けてみようと、参加を申し込んでみた。

V.I.P.の紹介、サプライズ出演の菅さん

会場となったのはイタリア文化会館の地下ホール。400席弱の客席の8割ほどが埋まっていただろうか。イタリア人の観客が2、3割ほどいたのはこの会場ではいつものことだろうが、気が付いたのは日本人の参加者の層である。いわゆるイタリア好きという人たちではなく、震災や原発に関心を抱き、初めてここを訪れたという人たちのようだった。

レジュメによると、"Tsunami Nucleare"(『放射能という"津波"』)をイタリアで出版した著者のピオ・デミーリア氏は、日本の大学に留学し、その後30年にわたり滞在してイタリアメディアの特派員をしている。この夜はほとんどイタリア語で通していたが、当然日本語を不自由なく操る。この震災後は、原発から20km圏内での取材もしてきたという。

まずデミーリア氏とドナーティ・イタリア文化会館館長が壇上に立ち、続いてペトローネ駐日イタリア大使の挨拶で開会した。

来賓V.I.P.の紹介があり、パネリストの田口ランディ女史、桜井勝廷南相馬市長の他、駐日サンマリノ共和国大使、駐日ローマ法王庁(バチカン)大使と共に、着物姿の菅信子内閣総理大臣夫人も来場。そしてサプライズで菅直人内閣総理大臣とも直接電話がつながり、出版の祝辞の音声が会場にも流された。

なんでもデミーリア氏と菅総理は、以前より交流があった旧知の仲だという。その総理に対しデミーリア氏は、国会が停滞した中で総理退陣発言をしたことについて触れ、「管さん止めないで」とエールを贈っていたが、正直会場の日本人は失笑ものだった。総理として期待したいのはやまやまだが、果たして信じて良いものか。そんな中で信子夫人は、どのような心境で来場したのだろうか。

驚きの現場レポートの上映

この震災後、デミーリア氏はイタリアのテレビ局SkyTG24の特派員として被災地を取材し、大小50本ものレポートをイタリアへ送ったという。そして今回は、その中の2本のレポートが上映された。一つは震災1ヵ月目のもので、もう一つは震災100日目のものだった。

【1ヵ月目レポート】

《内容概略》黒澤明『夢』の1シークエンス。核汚染後の以上な世界。3月。地震、そして津波が発生、そして福島原発事故。日本の原発政策の歴史。国会の動き。4月10日反原発デモ。福島や周辺の地域や野菜には放射能汚染の恐れも。NGOグリーンピースが独自計測。東京電力は以前に福島第一原発での自主点検トラブル記録の隠蔽事件。福島県南相馬市へ向かう。市長の許可を貰い20km圏内の警戒区域へ防護服姿で取材に向かう。福島県川俣町。避難所の取材。相馬の津波被災地へ。宮城県気仙沼の様子。津波被害の凄さ。災害廃棄物の分別の様子。岩手県宮古市、山田町へ。

【100日目レポート】

《内容概略》地震、津波、福島原発事故発生。イタリア大使館の動向。大使の話。菅直人総理へは1年前インタビューしたが、震災後はできず。自民党・河野太郎衆議院議員へのインタビュー、「日本は段階的に脱原発へ向かうべき。日本の原発の歴史は、自民党の政策によるものだった」。原発ムラの利権構造。4月10日反原発デモ。福島県郡山市へ向かう。福島第一原発20km圏の警戒区域へ。防護服での取材。ガイガーカウンターで水たまりを計測すると高い値のホットスポットが。一時帰宅の家族に話を訊く。警戒区域内への物資輸送がストップ。酪舎ではエサもなく餓死する乳牛の姿。道路には放たれたペットや家畜の群れ。区域外への牛の移動を訴える民主党・高邑勉衆議院議員。酪農家は牛の餓死を待つか安楽死かの選択を迫られる。

日本のメディアが報道しない現実

正直このイタリアで放送されたというレポートには、とても驚かされた。ここで報告された内容は、これまでも例えば、一般のブロガーやフリーランスのジャーナリストによる報告で知ってはいたものだったが、少なくとも日本のマスメディア——記者クラブメディアの新聞・テレビでは全く報道されていないものばかりだったからだ。

それは4月10日の高円寺で行われた反原発デモのこと。または20km圏内の警戒区域内の様子。そしてその域内で餓死した乳牛の無残な姿。なぜか反原発の行動は無視され、マスコミ上層部の判断からか自社の記者による20km圏内の取材も行われなかった。

とにかくこの震災では、地震発生から今に至るまで、震災報道は全く機能しなかったと思っている。全国紙と全国ネットのテレビ局、また海外の大手メディアも含まれるかもしれないが、表層をなぞるだけの発表報道しかできなかった。現場にいっても歴史や背景までは判らないし調べない。そこには地域に精通した記者も、過去の災害事例や原子力科学に精通した専門記者もいなかった。

それらを補完していたのが、それ以外のフリーランスやネット上のメディアだった。だがそれ以外でも、ましてや海外メディアにおいてこれほどまでに的を射た取材をピンポイントで行っていたメディアがあったということにビックリした。特に日本の場合は「日本語」の壁があるという。海外メディアの特派員でも日本を熟知し、「日本語」のみで自ら動き直接取材ができるレベルの記者がほとんどいないということが、以前より指摘されていたからだ。

日本の記者クラブ・マスメディアは、このレポートを見て大いに反省すべきだろう。このシンポジウムの取材にマスコミが来ているのかどうかは判らなかったが、居たとすれば面目丸つぶれで、恥ずかしくてとても居られるはずがない。

震災報道レポート「情報の津波」

続いてデミーリア氏の同僚だという、ジャーナリズムを学ぶ若い女性、シッラ・アレッチ女史による震災報道に関する報告があった。

タイトルは「情報の津波」。日本のメディアの状況と震災・原発報道の現在に関してを外国人にも理解できるように整理したものだったが、同時にこれはメディアリテラシーのほとんどない多くの日本人にも参考になるような内容だった。

◎日本のメディア状況の4分類
マスメディア(テレビ・新聞)/記者クラブ
フリーランス/雑誌
外国メディア
ソーシャルメディア

原発事故報道ではマスメディアの情報源は、政府(官邸-総理大臣/官房長官会見・永田町記者クラブ)・東京電力の記者会見だった。独自に福島へ赴いての放射線調査などの調査報道もなかった。それどころか50km以内へ入らないようにとの指示も出された所も。一方で記者会見にはフリーランス/雑誌/外国メディアは同席を許されなかった。そんなNHKを除く記者クラブメディア各社へは、東電からスポンサー・広告料として年/300〜2000億円が支払われているとされる現実がある。これまで反原発や政治、社会との関わりについては、マスメディアではタブーであった。

フリーランサーたちは今年、会見の場づくりとして自由報道協会を立ち上げていた。その自由報道協会を雑誌や外国メディアも含んだ代表の窓口とし、記者会見への代表参加を官邸や記者クラブに要求したが門前払いが続いた。その世話役をしていたフリージャーナリストの岩上安身氏や上杉隆氏の紹介。さらには上杉氏のTBSラジオ「小島慶子キラキラ」降板や、ビデオジャーナリスト神保哲生氏(ビデオニュース・ドットコム)の20km圏内取材のことも。

またソーシャルメディアの動きを「コンテンツプロデューサー」とタイトル付け。特に3月26日にYouTubeで支援を訴えた南相馬市桜井市長。Twitterやブログは、マスメディアが無視、あるいは出せないような現地からの情報を外に伝える「架け橋」となっていた。ブログでは、MITや日本原子力研究開発機構などの専門家・研究者による原発事故のシンプルかつ正確な説明がされた。

海外で報道されるニュースには、大げさなものや誤報も多かった。それを検証するサイト「Journalist Wall of Shame(恥辱の壁)」が立ち上げられた。それによるとそのひどい記事はいくつかに分類できる。

無意識
悪意のないもの/勘違い
簡単な裏付け確認を怠る
センセーショナル
恐怖と不安を煽る
ヒステリー的、不安と差別
悪魔

在日イタリア人により、Facebook上にて「Giappone Shinjitu」というグループが立ち上げられた(およそ1300人登録)。イタリアの新聞の記事が事実と違うことへの疑問と正しい情報の必要性が誕生の理由。伊メディアの代わりとして在日イタリア人へ正確な情報提供を行う。

"Giappone Shinjitu"で明らかになった事例の一つとして、伊『コリエーレ・デラ・セラ』紙の記事が英『デイリー・テレグラフ』の丸パクリだったことが判明。しかもこの記事が平然と伊国内のメディア賞も受賞していた。

日本の震災報道のメディア事情についてやJPquake - Wall of Shameなど既知のものばかりだったが、さすがに在日イタリア人コミュニティ間のFacebookサイトまでは知らなかった。

このプレゼンは、日本語(とイタリア語、英語等)を充分に理解出来、かつマスメディアやネット上で自在にネットサーフィンが行えるだけのネットリテラシーないと出来ないものだった。日本人でもここまで広く今回のメディアの動きに精通している人は、ほとんどいないだろう。ましてや外国人では、世界の中でも彼女とデミーリア氏くらいのものだと思う。

言葉の出せない人の気持ちを受け止めたい

文化会館館長、デミーリア氏に作家の田口ランディ氏、桜井南相馬市長を加えた4人によるパネルディスカッションが行われた。桜井市長から話は始まる。

桜井勝廷氏(南相馬市長)

市長はまず冒頭に、義援金等の支援についての感謝を述べた。そしてデミーリア氏とは見た目体格も違うが、実は同い年であるということを明かし、会場を驚かせた。だが同氏と最初に出会った場面を振り返り、当時はとても緊張した時間の中だったが、その同級生という感覚と気さくな性格のおかげで、リラックスした時間を共有できたという。

そして昨年1月に市長に就任したばかりだという市長は、

地震、津波、原発事故の中で南相馬市民が置かれている立場は、日本、福島の現状の象徴。市民が全国各地に避難せざる得ない状況を余儀なくされた中で、この難局に臨まなければならない

と、想いと決意を語り始めた。

情報のない中、物資が来なくなる中、どうすればいいのかという迷いの中での自分の判断基準は、市民の命を最優先して守るということだった。しかし国は20km圏外については「屋内待避」として、国や県の避難の判断がなかなか出ない。その中で市民を市外に避難させたが、結果的にはすでに大半の市民が避難し始めていた。そしてようやく国による避難指示が出されたのは、4月22日になってからだった。
   南相馬市は、警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域、30km圏外という形で分断された。今、生活再建の様々な支援、義援金や一時仮払い金が支払われるようになっている。しかしこれは全国に5万人以上が避難した南相馬市民が、そこで大きな不安な日々を過ごしながら、放射能と同時に金銭的にも差別される現状でもある。
   仮払い金を受け取れる人と受け取れない人。30kmを境にして仮払い金がゼロの人。人の気持ちを本当に思って、こういうことができるのかどうか。未だに疑問と怒りを感じる。区域と同時に、市民の心も分断され、市民がずたずたになったと言わざる得ない。
   今回のことは不幸であるが、原発を終熄させる絶好のチャンスでもあると思っている。私の所には、各与野党の党首、幹部が多くいらっしゃるので有り難い。しかし残念ながら原発を終熄させることに対して、日本の権威を示さないのは、一番被災した住民に対し、政治を信頼できない世界に置いてしまっていることだ。
   先の東京電力株主総会の中で、東電株を持つ首長として脱原発を積極的に支持した珍しい首長になったが、原発を新設せず終熄と廃炉に向かうことは当然であると思っている。
   災害で南相馬市は多くの人が犠牲になった。とりわけ津波で580名が死亡し、109名がまだ行方不明になっている。そして津波と全く関係のない人が避難し、不安の中で不満を言っている。残念ながら亡くなった命は声を出すことも出来ない。原発災害に対しても言葉に出して言えない。その中を毎日走って、言葉の出せない彼らの気持ちを少しでも受け止めたいと思っている。

田口ランディ氏(作家)

田口ランディ氏はデミーリア氏とは、今回の本に短い文章を寄せたというつながりがあったという。そして現在関わっている「ふくしまキッズ夏季林間学校プロジェクト」の紹介から始めた。外で遊べない福島の子どもたちに、夏休み期間子どもたちを北海道の自然体験学習で過ごして貰おうというプロジェクトだという。この夏だけではなく、今後5年に渡って夏、冬の休みに計画するものだという。

そしてデミーリア氏の本に寄せた文、被爆国であり核に強い拒否反応のある日本で、なぜ欧州のような強い反原発運動が起こらないのかという概略を語った。被爆国であり核に強いアレルギーのある日本が、なぜ原発に邁進したのか? 東西冷戦、アメリカの水爆実験、自民党の政策など、原発政策に関わるこれまでの歴史を振り返った。

『放射能という"津波"』というタイトルへの疑問?

質疑に移ると、会場にいた日本文学を研究する女性教員から質問があった。彼女の夫は筑波の医師で放射線生物学者だという。そして自身は日々、市民、文学者、専門家の夫として、今回の災害・事故を考える毎日で、シンポジウムや講演に参加しているそうだ。そんな彼女から壇上へ、大きく2つの質問が投げかけられた。

一つはデミーリア氏の本のタイトル"Tsunami Nucleare"(『放射能という"津波"』)についてだった。

日本文学者として疑問に感じる。実際に本を読めばそこに答えがあるのかもしれないが、私は「津波」は天災であったが原発事故は人災であったと考えている。このタイトルでは、原発事故が天災であったかのような誤解を与えかねないのでは?

これに対しデミーリア氏は、すでに多くの日本人から同様の意見を貰っているとの回答があった。あえて大きく比喩的な言葉を使ったが、今後の幻冬舎から出版される日本語版では編集者とも話しており、誤解を避けるために違うタイトルになるだろうという。

津波は今でも起こっている

一方これを桜井市長は、

現場にいる者として、私は津波は今でも起こっているものだと思う。

と印象を述べた。

放射能という津波(原発事故が発生してから刻々と状況が変化し、警戒区域設定や放射能汚染、救援物資が途絶えたり住民の避難など一連の状況のこと)は、先ほどのアレッチ女史の報告の言葉を借りれば、情報の津波である。
   今、市民は何か一つの情報が出ること、それにより市民はどんどん不安に翻弄されるという現実がある。そしてこの不安は、北海道から沖縄まで、ほぼ全都道府県に避難せざる得ない状況の市民にとっては、距離や場所によっても異なる。
   そんな情報の津波は時間も大きさも影響も異なり、まるで心が津波に飲まれるようなものだ。一方、その影響は引き波か第二波かは判らないが、各地の避難者などから市へと押し寄せてもくる。そんな情報に翻弄される状況というのは、現実的に起こっていることだ。「津波が今でも起こっているのだ」と、ひしひしと感じている。

現場に向かう専門家への教示

女性日本文学者による二つ目の質問は、専門家として数週間後に福島入りをすることになっているという彼女の夫に対し、何か教示を頂ければ、というもの。

これに対して桜井南相馬市長は、真っ直ぐに答えた。

医師として働くのであれば、命を守ることがミッションで、そのことによって自分たちの名声もあるのだと思う。私はこの市長という立場を(選挙で立候補して)獲りに行った人間なので、こういう(災害に対応する)立場にあることはある意味で運命で、そのことによって自分が逃げようとも思わない。(逆に仕事が与えられたという運命は)良い時間を与えられていると、改めて実感をしている。
   放射能の専門家であればあるほど、現場にしっかり入るのが務めです。今、多くの医者も職務や研究やボランティアで入ってくれている。今、市民は不安の中にいる。(専門知識を)知っている人間であれば、積極的にそこ(被災地)に入って専門家としての知識を現場(市民)に与えていくのが(専門家・責任者の)使命だと思っている。
   私は現場を預かる者として、市民から怒りや多くの不安の声を受け止め、自分が行動していくことが務めだと思っている。それぞれ(の専門家・責任者)がこの(震災・原発)問題に対して、しっかりと対応していく覚悟が必要ではないか。

これには女性も、専門家である夫が現場に赴くとこは「当然です」と、市長の教示に敬意を持って応じていた。

イタリア人科学者からの抽象的な懸念

一方最前列で聴衆していた、アルベルト・メンゴーニ駐日イタリア大使館科学技術担当参事官の発言が論争を呼んだ。核物理学の専門家である同氏は、6月にイタリア国内で実施されたばかりの国民投票(チェルノブイリ原発事故後に凍結した原子力発電所建設の再開の無期限延期を問う国民投票。95%が再開に反対し承認)も踏まえ、これまでの感想を述べた。

(イタリアや日本の脱原発の世論に)多分に感情的な局面が存在したと思う。もう一つの局面、エネルギーや原子力という問題でも考えるべきだ。感情論を乗り越えて科学的、技術的、エネルギー論としての議論もされるべきだろう。

この話の途中に、それを遮るように観客のイタリア人が意見を呈した。ちょうど日伊同時通訳が途切れた場面だった為に論争の詳細までは把握できなかったが、メンゴーニ科学アタッシェの核科学者としての抽象的・楽観的な意見に納得がいかなかったようで、口を挟んだ。

彼が言うには、原子力という科学への依然としての科学者の期待はあっても、現実的に日本ではこのような大事故が起こってしまった。日本のような地震国で津波の危険性もある国では、そもそも原子力発電所は相容れない技術なのではないか。メンゴーニ科学アタッシェに対しこのような反論をしたようだった。

イタリアと南相馬市の強い絆

最後に福島の20km圏内の酪農家支援をしている民主党衆議院議員の高邑勉氏から話があり、大幅に延長されたディスカッションが締めくくられた。

この後、桜井市長に南相馬市への義援金贈呈が行われる。これまでイタリア文化会館のイベントなどで集められてきたもので、それぞれの代表者から贈呈された。中でもイタリアレストラン「エリオ」から渡されるとき、桜井市長はこの日最高の笑顔を見せていた。

エリオは、イタリア人がよく利用するリストランテの一つ。その従業員の一人が、南相馬市出身の女性であった。桜井市長は南相馬市出身との紹介があったとき、思いがけなかったようで嬉しそうな表情を見せていた。東京で働く同郷の人間と、こうした場で出会ったことの驚きと喜びと心強さだろうか。

エリオはそうしたつながりもあり、これまで何度も福島や岩手へ炊き出し支援へ赴いていた。さらには店頭でも募金箱の設置やチャリティーなどを行ったという。その南相馬市出身のスタッフが壇上に登り、そうしてこれまで集めてきた義援金を「一緒にがんばっていきましょう」と言って、温かい拍手に包まれる中で市長に手渡した。女性スタッフも、こうした場で市長と対面したことに感極まっている様子。南相馬市の強い絆と決意を感じさせられた瞬間だった。

"ITALIANS FOR TOHOKU"とは?

"ITALIANS FOR TOHOKU"による募金と広報活動
(東京都千代田区・イタリア文化会館 /九段南 2011年6月29日) [クリックで拡大]

この出版記念シンポジウムの会場入り口では、"ITALIANS FOR TOHOKU"(イタリアンズ・フォー・東北)という支援組織が活動の紹介と募金活動を行っていた(イタリアなのに英語だが)。珍しいなと思い眺めていたところ、メンバーで在日十数年だというベロニカさんが活動を紹介してくれた。

これは主に在日イタリア商工会議所が窓口となったもので、日本在住の大使館やリストランテ関係のイタリア人が中心となった復興支援組織だという。これまでもすでに数回ほど岩手県陸前高田市に赴き、数百食のイタリア料理の炊き出しを行ったり、そこで要望のあった支援物資を配布したのだという。

今回はこうしたブースを初めて設けたそうで、そうした活動への募金活動としてチャリティバッヂの販売やメッセージカードへの記帳、食器提供の呼びかけをしていた。

これまでの活動では、陸前高田の方たちもとても喜んでくれたという。このような外国人による活動は本当に嬉しく心強いことだ。これまでもアメリカやフランスの料理人たちによる炊き出し活動はマスメディアでもよく取り上げられていたし、JICAが窓口になって東南アジアなどからの人たちによるボランティア活動も行われていた。しかしこうしたイタリア人の方たちによる活動は、ここで初めて知ることができた。

"ITALIANS FOR TOHOKU"のチャリティバッヂ
(東京都千代田区・イタリア文化会館 /九段南 2011年6月29日) [クリックで拡大]

イタリア人シェフによる地道な支援活動

後に会場のイタリア文化会館にいたイタリア人や日本人の方にも聞いてみたが、同じイタリア・コミュニティの中であっても、誰もこうした活動は知らなかった。ベロニカさんによると数社からの取材は受けたが、全国的なメディアの取材はされていないという。こうした活動が広く知られることで、イタリアの方からも支援を受けているということが陸前高田以外の地域の日本人の間にも認識でき、相互の理解と交流もより深まるだろう。さらには活動のための支援や募金への協力も得ることができる。しかし、そもそもこうした対外向けの広報ブースを設けたのも今回が初めてだという。

現在Facebookのページは立ち上げているが、イタリア語の在日イタリア人コミュニティ向けページで、主にメンバー間での情報交換の場だという。広報として日本語ブログも立ち上げれば良いのにと思うが、メンバーのほとんどがイタリア人シェフで、なかなか時間が取れないことや、ベロニカさんのように日本語が堪能な人が他にいないことなどがあるという。

話を聞いてみると、それは単発の活動に留まらない、じっくりと地域に根ざした活動だった。これからもまた陸前高田に通い、仮設住宅に移った人たちに向けて食器を配布する予定だという。当初イタリアからは政府レベルでは支援がほとんどなかったが、こうして民間レベルでは人知れず温かい支援の輪が続いていた。

[了]

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

◉データ
ピオ・デミーリア著『放射能という“津波”』出版記念
Presentazione del libro "Tsunami Nucleare" di Pio d'Emilia
開催日:2011年6月29日 18時30分
場所:イタリア文化会館 アニェッリホール
主催:イタリア文化会館 (Istituto Italiano di Cultura)
プログラム 挨拶:ヴィンチェンツォ・ペトローネ (駐日イタリア大使)
   DVD上映:SkyTg24の現地取材レポート (24分)
   講演:「悪夢と希望の日本」ピオ・デミーリア (SkyTg24リポーター)
          「情報の津波」シッラ・アレッチ (ジャーナリスト)
   パネルディスカッション:ピオ・デミーリア、田口ランディ (作家) 、
            桜井勝廷 (福島県南相馬市長) 、
            ウンベルト・ドナーティ (イタリア文化会館館長)

◉ピオ・デミーリア関連リンク
◉ITALIANS FOR TOHOKUリンク
Google ブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録

Text & Photos kin

震災発サイト管理人

このサイトについて

bottom
このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Tumblr
Clip to Evernote
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
放射能という"津波"出版記念
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
放射能という"津波"出版記念
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
会場は8割ほど埋まっただろうか
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
文化会館館長(左)とデミーリア氏
(東京 九段南) 2011年6月29日
ヴィンチェンツォ・ペトローネ駐日イタリア大使(Saluto di S.E. Vincenzo PETRONE (Ambasciatore d’Italia in Giappone) 放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
ペトローネ駐日イタリア大使
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
放射能という"津波"出版記念
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
放射能という"津波"出版記念
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
アレッチ女史(右)
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
放射能という"津波"出版記念
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
パネルディスカッション
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
放射能という"津波"出版記念
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
桜井勝廷 福島県南相馬市長
(東京 九段南) 2011年6月29日
作家・田口ランディ氏 (東京都千代田区・イタリア文化会館 アニェッリホール Luogo: Istituto Italiano di Cultura di Tokyo Auditorium Umberto Agnelli/九段南 2011年6月29日)
作家・田口ランディ氏
(東京 九段南) 2011年6月29日
アルベルト・メンゴーニ 駐日イタリア大使館科学アタッシェ、Presentazione del libro
アルベルト・メンゴーニ
イタリア大使館科学アタッシェ
(東京 九段南) 2011年6月29日
民主党衆議院議員 高邑勉氏、Presentazione del libro
民主党衆議院議員 高邑勉氏
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
菅伸子首相夫人
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
放射能という"津波"出版記念
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
放射能という"津波"出版記念
(東京 九段南) 2011年6月29日
放射能という 津波 出版記念/ピオ・デミーリア著、桜井勝廷 (南相馬市長)、Presentazione del libro
菅伸子首相夫人
(東京 九段南) 2011年6月29日
ITALIANS FOR TOHOKU (東京都千代田区・イタリア文化会館 Luogo: Istituto Italiano di Cultura di Tokyo/九段南 2011年6月29日)
ITALIANS FOR TOHOKU
(東京 九段南) 2011年6月29日
ITALIANS FOR TOHOKU (東京都千代田区・イタリア文化会館 Luogo: Istituto Italiano di Cultura di Tokyo/九段南 2011年6月29日)
ITALIANS FOR TOHOKU
(東京 九段南) 2011年6月29日
ITALIANS FOR TOHOKU (東京都千代田区・イタリア文化会館 Luogo: Istituto Italiano di Cultura di Tokyo/九段南 2011年6月29日)
ITALIANS FOR TOHOKU
(東京 九段南) 2011年6月29日
ITALIANS FOR TOHOKU (東京都千代田区・イタリア文化会館 Luogo: Istituto Italiano di Cultura di Tokyo/九段南 2011年6月29日)
ITALIANS FOR TOHOKU
(東京 九段南) 2011年6月29日
ITALIANS FOR TOHOKU (東京都千代田区・イタリア文化会館 Luogo: Istituto Italiano di Cultura di Tokyo/九段南 2011年6月29日)
ITALIANS FOR TOHOKU
(東京 九段南) 2011年6月29日
More photos...写真館