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◉震災発コラム

島原を往く ❹
番外篇 観光地としての哲学
その観光利便性

長崎県島原市/南島原市 ◉ 2009年1月20日
◎ 雲仙普賢岳噴火災害

text by kin

2011.1  up
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旧大野木場小学校跡。火砕流によって教室内まで焼失した。長崎県南島原市深江町 2009年1月20日)
火砕流によって教室内まで焼失した旧大野木場小学校跡
(長崎県南島原市深江町) [クリックで拡大]

島原は、どこにあるのか?

そもそも島原とはどこにあるのだろうか? よく"雲仙普賢岳"とひとくくりの名詞呼ばれてたので気が付かなかったのだが、雲仙と島原は全く異なる場所なのだった。始めは雲仙行きを調べていたのだが、よくよく調べてみると噴火被災地は有明海に面した「島原」であり、「雲仙」ではなかったことにふと気がつく。雲仙は島原半島の南側に位置し、島原とは普賢岳を挟んだ反対側の温泉観光地。私は長崎市内から公共交通機関である鉄道とバスで島原に向かったのだが、当初ガイドブックや長崎市のバスターミナルの案内板のどこを見ても、その辺りの詳しい説明は記されていなかった。島原半島に「雲仙岳」があり、その麓に「島原」と「雲仙」があるのだ。県内では常識であっても、外からの観光客にとってはそこまでは気が付かない。

公共交通機関を利用して訪れる観光客にとっては、これは紛らわしく違いは大きい。半島は全域にわたって鉄道やバスの本数が少ないことに加え、路線経路も複雑なのであるから。地名が紛らわしいのは仕方ないが、その案内がないということは不親切というよりも外からの目に気が付いていないということのようだった。このことは、その後の観光の際にも影響していくだろうということを暗示していた。

似たような施設が重ねて点在する

島原に来て最初に驚いたのが、「火山資料館」の類の似たような施設がいくつもあることだった。事前には「雲仙岳災害記念館」しか知らなかったのだが、実際にはほかにもいろいろとあることが判明する。

◎施設名
雲仙岳災害記念館
大野木場砂防みらい館
道の駅みずなし本陣内 土石流被災家屋保存公園
かどわき歴史災害記念館
島原城観光復興記念館
平成新山ネイチャーセンター
深江埋蔵文化財・噴火災害資料館
雲仙お山の情報館
雲仙普賢岳資料館

これらの全てがガイド本やガイドマップで紹介されていたわけではない。今のところ全てを網羅した案内資料はないようだった。唯一、大野木場砂防みらい館の駐車場にあった大きな観光地図「平成新山フィールドミュージアム総合案内ー平成新山野外博物館」の中に、いろいろ明示されていたのみだったか。

これらはそれぞれ全て運営主体が異なるようだ。管轄は県、市、国交省、環境省、民間と様々であり、また細かく見ていくとその設立目的も微妙に異なるようだった。狭いエリアにこれだけの関連施設が建つのにも関わらず、横の連携もないのか相互紹介のチラシすらも見かけなかった。これは典型的な縦割りの弊害ではないだろうか。もうすこし集約したり連携はできなかったのだろうか。

しかも旧大野木場小学校や土石流被災家屋などの「その場所にあった」災害遺構の他は、場所的にも内容的にもその地に建つ必然性はそれほど感じられなかった。また狭いエリアとはいってもそれは車を利用した場合のことであり、公共交通機関での移動が著しく制限されるこの地域の場合はお互いが広く点在していることもあり、どの施設もアクセスがとても悪い。とくに「平成新山ネイチャーセンター」などは、公共交通機関で訪れることもできない。これらの施設は、一体どのような来場者を想定しているのだろうか。誰に何を伝えようとして施設を作ったのだろう。

ターゲットは九州内の車利用者だけか

公共交通機関での移動手段がないというのは離島や山間部などの過疎地域も同様であり、仕方のないことだ。この地域ではつい最近になっても、火砕流から復興したばかりの島原鉄道がその復興した区間を含めて途中から廃線になってしまったり、バスの本数も1日に数本という路線がほとんどだったりする。そうした事実からも類推できるようにもともとある日常に抱えた地域の課題で、一人一台くらいに車がないと生活できないような地域である。また資料館が建ったような場所も、もともとは港や島原城といったような観光地ではなく農地が広がる広陵とした場所だった。

そうしたことを踏まえても私が気になったことは、廃線になった鉄道路線図を訂正しないままであったり、駐車場にしか総合的な案内地図がなかったり、県が運営する最も規模の大きな雲仙普賢岳資料館すらもバス停から非常に遠いということだった。およそ44億円もの事業費を掛けた県の施設として、このままでいいのか。これは過疎の町の諦めにも思えたが、それは観光地としての諦めにも思えた。

島原周辺の噴火災害被災地一帯を「ジオパーク」という地質分野での世界自然遺産のような「地質遺産」への登録を目指す運動を行っているという(註:2010年4月「島原半島ジオパーク」登録)。これだけの大きな規模の火砕流や土石流の被害を受け、またその被災現場が保存され、教訓を学べるという地域は世界的にも貴重なものだろう。しかし実際の島原の被災地には、人を迎えるための哲学を感じることができなかった。ジオパーク登録を前に、訪れる人の視点で今一度見直して欲しい。

例えば駅員や宿の人やそれぞれの施設の人は皆さん親切で、もてなしの心を十分に感じたことは印象的だった。またそれぞれの災害遺構の現実にも、いろいろなことを考えさせられた。このような場所は日本でも、もしかしたら世界でもここにしかない。地域全体を俯瞰して総合的にプロデュースできる組織や人材いればと思う。

[了]

観光につける薬―サスティナブル・ツーリズム理論
島川 崇
同友館
おすすめ度の平均: 5.0
5 国家戦略としての観光
5 目から鱗
5 観光ってあなどれない!
5 観光学の欲張りな入門書

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

◉データ
普賢岳平成大噴火災害◊概略
1990年11月17日 水蒸気爆発(前回1792年噴火)
1991年5月 最初の土石流
1991年6月3日 大火砕流で43名の人的被害
1991年9月15日 火砕流で大野木場小学校焼失
1995年2月 溶岩噴出が停止
1996年5月 最後の火砕流
1996年6月3日 終息宣言

火砕流/土石流◊概略
火砕流:約9400回発生(3回の大火砕流)
土石流:約140回発生(およそ1700棟が土石流被害)

◉参考文献
  • 『1990年-1995年 雲仙普賢岳噴火災害概要』国土交通省九州地方整備局雲仙復興事務所調査課(2007年11月)
  • 『雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して 被災者からの報告』特定非営利活動法人島原普賢会(2000年8月)
  • 『大火砕流を越えて 普賢岳が残した十年』毎日新聞西部本社編,出島文庫(2002年6月)
  • 『大災害!』鎌田慧,岩波書店(1995年4月)
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Text & Photos kin

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島原鉄道島原鉄道線「島原駅」 2009年1月20日)
島原鉄道島原鉄道線「島原駅」
(長崎県島原市)2009年1月20日
車用の道路標識 2009年1月20日)
"あくまでも"車用の道路標識
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1991年に大火砕流が発生した、雲仙普賢岳・平成新山を望む 2009年1月20日)
1991年に大火砕流が発生した
雲仙普賢岳・平成新山を望む
2009年1月20日
旧大野木場小学校跡 2009年1月20日)
旧大野木場小学校跡
(長崎県南島原市深江町)
2009年1月20日
平成新山フィールドミュージアム総合案内 2009年1月20日)
平成新山フィールドミュージアム
総合案内の看板
(長崎県南島原市)2009年1月20日
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深江埋蔵文化財・噴火災害資料館(長崎県南島原市)
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国交省大野木場砂防監視所
「大野木場砂防みらい館」
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土石流被害家屋保存公園 2009年1月20日)
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道の駅 みずなし本陣 2009年1月20日)
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火山学習館、大火砕流体験館 2009年1月20日)
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島原復興アリーナ 2009年1月20日)
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