阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

青池 憲司 監督作品 映画『宮城からの報告—こども・学校・地域』製作委員会

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青池憲司監督インタビュー

Interview : Part 2

阪神淡路の震災記録映画上映で、新たに生まれた繋がり

被災した門脇小学校(宮城県石巻市・門脇 2011年7月21日)
被災した門脇小学校を訪れた門小の校長と先生方。青池組の撮影にも、とても協力してくれる。
(宮城県石巻市 2011年7月21日) [拡大]

——撮影に入る前に、石巻市長など地元の人たちに会って映画撮影の企画などを説明されたそうですが、その時の反応というのは?

はじめは市長とかとも僕自身は特に会う必要はないと思ってたんだけれど、会う機会が出来た。プロデューサー役の佐藤進さん(映画製作委員会事務局長)にしてみれば、そういうお墨付きをいろいろ貰っておいたら後々役に立つだろうということで。僕は付いていった形だけれど。

つながったのは、5月の半ばくらいに石巻でいろいろな人に呼びかける時に、青池がこれまでにどんな映画を作ってきたかということも少しは知って貰ったほうが良いだろうということで行った上映会です。だったら阪神・淡路大震災の記録の映画をやろうということで、『石巻かほく』という地元新聞を出している三陸河北新報社の本社の一室を借りて「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』第2部」を上映した。

これは佐藤さんが三陸河北新報の桂さんといろいろ話し合って、広く石巻の教育関係者やまちづくり活動をしている人たちや行政といった主だった人にも広く呼びかけた。その時に何十人か集まってくれて、その中に市の若手の職員の人が2、3人いたんです。そして上映後にその行政の人たちが、「なんか石巻で映画撮りたいっていう人の監督の映画を観たんだけれど、なんか面白いから」というような報告を市長にも伝えたようです。市長も、「そういう人が石巻に来ているんだったら会いたいからぜひ呼んでくれないか」ということになり、佐藤さんや一之瀬さん(撮影カメラマン)と一緒に会いに行った。

その時に市長が企画書を読んで、「興味深いと思います」と言ってくれた。ただあの市長もはっきりしていたのだけれど、「お金はありません」と言われた(苦笑)。こっちも被災地からお金を貰って映画を作ろうなんてことは、思っていないから(笑)。

市長に、「まあ、お金とかそういう話は今は置いといて。企画を興味深いと言って頂けたことには、大変感謝をします」と言った。そうしたら、「企画は興味深いけど、来るのが遅い」と言われた(笑)。でも、その「来るのが遅い」と言った意味は判るよね。どうせなら被災直後のもっとひどい惨状から記録して欲しかったというのは、当然あるだろうから。それも判るけど、「いくら来るのが遅くても、来ないよりは良いでしょう」と答えたんだけれど(笑)。そのようなことがあった。

それとそういう市長の言葉より僕が非常に嬉しかったのは、上映会に来た市の復興対策室や教育委員会の中核の若手メンバーが、すごく積極的に後押ししてくれたことですね。その彼ら2人が市長に言ったからこういう話になって、そういう言う意味ではその中核の2人に非常に感謝している。大体、行政というのは、断りはしないけど自分の関心でこうした行動を後押ししてくれるなんていうことは、あまりないからね。協賛というか名義だけで、お金までは出さない。僕はこれまで行政がらみのお金を貰って映画作ったことは一度もない。阪神・淡路大震災の民間の助成金とかはあるけど。そりゃお金はいっぱい貰いたいけれども。

それともう一つ、上映会に来てくれた人で言っておかなくてはいけないのが、この石巻でまちづくり活動をしている「街づくりまんぼう」という組織の代表の西條さんという方。上映後に彼が、「今日観たこの映画は、自分たちにとっての次のステージ、明日明後日の記録ですね」という言い方の感想をくれた。そして「自分ひとりだけが観るのはもったいないので、まちの人たちや商店街の人たちにも一緒に観せたいから、上映会を別に開いてくれ」と言われた。それでその後、商店街で2回上映をしたのだけれど、合わせて60人ほどの人が来てくれた。その時は、普通の街場の商店主だったり女将さんだったりという人たちでした。

*)市長
▶亀山紘・石巻市長

*)「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』第2部」
▶青池憲司監督作品、1995年発表。1995年3月下旬〜4月下旬頃の野田北部の動きを記録した。石巻でこれを上映した時期が、この作品中の「震災から2ヶ月」という時期とちょうど重なるために選ばれた。[サイト]

*)(株)街づくりまんぼう
▶石巻市の中心市街地の商業活性化やまちづくり活動を行うTMO。「石ノ森萬画館」も運営する。[サイト]

撮影開始から1ヵ月

終業式の門脇小学校(宮城県石巻市・門脇 2011年7月20日)
終業式の門脇小学校。先生から通知表を受け取る。(宮城県石巻市 2011年7月20日)[写真は一部加工]

——撮影が始まっておよそ1ヵ月が経過しましたが、撮影の進み具合はいかがでしょう?

まあ順調だよね。撮影そのものはすごくスムーズに行っていると思う。一番の狙いは今の子どもたちの状態をいろいろな表情やアクションで撮りたいと思っていたので、それらは狙い通りに行ってる。

授業もいろいろな面白いものがあって、例えば3年生のクラスでは総合の授業の中で「よみがえれ石巻」という課題でずっと授業をしている。子どもたちに「自分たちのまち、門脇や南浜を再建するにはどうすれば良いか」というようなテーマで、これは大人の言葉だけれども、いろいろとやっている。それは3学期までずっと続くらしいのだけれど、空想じみたことも含めて子どもたちでいろいろなアイデアを考えようとしている。

そういうものを追いかけていくと、あの震災でいろいろ大変なダメージを負ったけれどもそれだけではなく、「新しく自分たちのまちを作り直していこう」ということを、子どもながらにもいろいろ出てくるのではないかと。そういうのは子どもの成長にとっても良いプラスに働くと思うし、僕は期待している授業なんだけれど。そうして主に撮っているのは4年生のクラスなんだけれども、一応まんべんなく、そのほかのクラスも撮影はしていっている。

——4年生を中心に撮影をしようと考えたのは、なぜですか?

小学生も1年生から6年生だと、3年生くらいまではまだ幼児性が強い。5、6年生になると、ある程度少年少女になって年長っぽく、児童というよりは生徒という雰囲気になっていく。4年生と言うのは、その移り変わりの時期で、そういう意味においては最も変化が見られる時期ではないかと思う。

でもそうして想定した通りでもなかなかない。想定した通りにいったら面白くない訳だけれど(笑)。学校内での撮影は6月27日から始まり、7月20日の終業式までの約3週間強。なかなかまだその短い期間では、変化はまだこちらの予想と大きく違うような変化は見えてこないけど、みんな良い表情をしてますよ。

*)石巻市立門脇小学校(かどのわきしょうがっこう)
▶石巻市門脇町四丁目。通称=門小(かどしょう)、児童の愛称は「門小っ子」。地震で児童は高台へ避難したが、校舎は津波と火災で被災し全壊。震災後、門脇中学校で間借り授業を行う。青池組の撮影地点。[サイト][ブログ]

*)門脇・南浜地区(かどのわき・みなみはま)
▶今作の撮影対象地域としている門脇小学校学区の総称。門脇町2〜5丁目、南浜町1〜4丁目ほか地区。太平洋に面し日和山を背にし、旧北上川と日本製紙石巻工場に挟まれた一帯。津波で全域が浸水し火災が発生、延焼。地盤も沈下した。

「までい」に学校と交わした製作委員会の仕事

——校内での撮影が始まった時、学校や父母の反応はどうだったでしょう? 校内に部外者が入るということで、多少の警戒心など抱かれたり等もあったかと思いますが。

それは当然、警戒心はあるよね。特に学校というのは、まず子どもを守らなくてはいけないというのがあるから。当然、子どもにとってこの映画撮影というのが、どういう意味を持つかというのを考えるよね。プラスになるかマイナスになるか、先生方はそういうことを当然考えるだろうし。

だからちょっと乱暴な言い方をすれば野田北部に一升瓶提げて言ってどーんと置いて、「よろしく!」「いいよ!」っていうふうなこと(神戸の下町のざっくばらんなイメージ)にはならない(苦笑)。当然それにはいろいろな(話し合いや)手続きが必要になる。その辺は佐藤さんを中心とする映画製作委員会の人たちは、丁寧に丁寧に見事にやったと思うんだけれどね。こっちの言葉で言えば「までい」にやったというのかな。までいに、までいにやってくれた。撮影に入るまでは一つ一つ(の手続き)がいろいろ何となくじれったい気持ちもあったし、何で事がスムーズに進まないんだということがいろいろあったけれど。先生方とも話し合ったし、PTAの保護者の人たちとも話し合ったし、結果的には学校に入れたわけだから。

*)までい
▶東北地方の方言。丁寧、心をこめて、手間ひま惜しまず、などの意。

——私は終業式の日に校内の撮影に同行しましたが、青池組に接する先生や父母の方々も好意的で協力的だったことや、子どもたちも変にカメラの前でも意識することなく普通に接していた様子が印象的でした。

子どもにとっては撮影隊なんて、3日経てばもう当たり前になっちゃうけど、今はそっとしてるけど、それはまだ判らないね。こっちはまだ校内で授業を撮影しているだけだから。もう少し子どもの世界に踏み込んで個別に接していこうとしたら、それはまた違った子どもの顔になってくると思うけど。まあとにかく一学期の3週間は、かなり上手くいったと思う。その辺は親衛隊(子どもたちに好かれた)をいっぱい作った尾崎(さん=助監督)に訊いて貰いたいところなんだけれど(苦笑)。

《続く》

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。